左近山とわたし

左近山とわたし 菅原康太写真展

左近山とわたし 菅原康太写真展(巡回展)

「団地暮らしの幸福を可視化するアート」

横浜市旭区左近山団地を舞台とするアートプロジェクト「左近山とわたし」は、まだ新型コロナウィルスの影響で移動やイベント開催が厳しいころから、月に 2度、1年をかけて実施されてきた。カメラマンの菅原康太さんが左近山団地に居住する人に呼びかけ、ポートレイト写真を撮影するプロジェクトである。撮 影された70組のポートレイトは、2022年4月29日~5月29日まで左近山アトリエ131110にて開催された同名の写真展にて披露された。

展覧会では写真が壁に収まりきらずに、天井から吊り下げられて規則正しく並んでいた。その様子は、団地の建物の窓の明かりが規則正しく並んでいる様を 思わせる。闇夜に暖かく灯る窓明りのように、誰もが温かな笑顔だった。

さて、「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」をご存知だろうか。絵画や彫刻など伝統的なアート表現手法とは異なり、社会と関与して制作されるのが特 徴である。米国では1960年代、日本では1980年代末にその端緒が切られ、現在まで系譜が続く美術史的には比較的新しいスタイルのアートだ。

なぜ突然こんなカタカナ専門用語を持ち出すのかというと、「左近山とわたし」が、このソーシャリー・エンゲイジド・アート(以下SEA)のお手本のよう なプロジェクトだからだ。SEAにおいて重要視される点を共有することは、そのまま「左近山とわたし」の魅力の理解につながる。

SEA文脈では、アート作品の美的・質的な評価よりもむしろ、プロジェクトのプロセスが重要視されている。なぜならば、SEA文脈ではアート表現の手法をコ ミュニティに持ち込んで、既存の状況に新しい視点を付与することでコミュニティの変容を促すことができると考えられているからだ。

「左近山とわたし」の場合には、アート表現手法として写真撮影技術と表現技術が、菅原氏により左近山団地コミュニティに持ち込まれた。もともとポートレ イト撮影に優れた手腕を持つ菅原氏である。参加者と「左近山とわたし」をテーマに会話をしながら、撮影場所を一緒に考え、時には話の流れでゲスト参加者も招くなどして、丁寧にそれぞれの撮影を行ったそうである。「対話」もまた、SEAの特色なのである。

ポートレイトを撮る/撮られる協働制作の一時的な成果は、70組の左近山居住者と左近山団地とが美しくエンゲージメントしたポートレイト写真と撮影前後に 語られた言葉であり、これらは展覧会の展示物となった。そして、2次的な成果は、参加者と展覧会鑑賞者にもたらされたポジティブなインパクトである。居 住者と左近山団地との「よい関わり」は、「左近山とわたし」を通じ、ある程度のまとまった質・量が可視化された。これを知ってしまえば、左近山団地コ ミュニティに対する印象が一段階ポジティブなものに変化するだろう。このインパクトが派生していくプロセスこそが、SEAが重要視するプロセスといえる。

少し余談ではあるが、コミュニティに対するポジティブインパクトを、まちづくり文脈では「インナーブランディング」や「シティ・プライド」なんて言葉で表すものだ。SEAによるポジティブインパクトが他分野と少し趣が異なるとすれば、表現する喜びが全力で肯定されることだと思う。それにより、個々人か ら「生えてくる」表現の芽を祝福できるコミュニティのあり方が担保される。

多くのSEAの現場をリサーチしてきた私は、表現が肯定された先で起こる、創造性の連鎖を目撃してきたものだ。左近山団地でもやはり、創造性のタネがど んどんと発芽していた。展覧会場の左近山アトリエ131110でのんびりと過ごしていると、「左近山とわたし」の参加者でもある女性が浪曲を詠ってくれた り、入り浸っている子供らがカメラを構えて勝手に撮影会をはじめたり、ビールを飲みながらちょっとだけクリエイティブな会話を楽しむ大人がいたりといっ た風景を、たった数時間の滞在中に目撃した。全てのことが「左近山とわたし」が原因な訳ではもちろんない。けれども、触発していることは事実だ。創造性が発芽する街角は楽しい。

SEAはこれまで自明にみえていた状況に新しいものの見方を提供できる。「左近山とわたし」は、ポートレイト撮影を通じて左近山団地に新しい視点を与え てくれた。新しいものの見方は人の心を変えてくれる。

心理学者ウイリアム・ジェイムズは言った。「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命 が変わる。」

つまり、起点は心の変化なのであり、創造性のタネの発芽はその先に起こったこと。SEAはその全てのプロセスが重要であるのだと指摘するのだ。コミュニ ティにクリエイティブで健やかな変容を起こしたいと思ったとき、「左近山とわたし」のようなプロジェクトのあり方はとても良い。このようなプロジェクト がコミュニティのインフラとして当たり前に存在する社会になれば、多くの人がWell-beingでいられるのにと本気で思う。

「左近山とわたし」、今回はコミュニティの拠点内での展示だったが、将来は違う場所で、違う街で展示をするかもしれない。プロジェクトが生まれた左近 山団地を離れた時、プロジェクトや一枚いちまいのポートレイトの見え方/見られ方がどう変化するかにも興味がわく。そういう意味では、プロジェクトのプ ロセスはまだ続いている。To be continuedなのである。
Photograper:菅原 康太
Assistant Photograper:伊藤 一道
Writer:友川 綾子(gallery ayatsumugi)
Designer:熊谷 玄・伊藤 祐基・森 智佳子(stgk)

2022
左近山とわたし

左近山とわたし 菅原康太写真展

左近山とわたし 菅原康太写真展(巡回展)

「団地暮らしの幸福を可視化するアート」

横浜市旭区左近山団地を舞台とするアートプロジェクト「左近山とわたし」は、まだ新型コロナウィルスの影響で移動やイベント開催が厳しいころから、月に2度、1年をかけて実施されてきた。カメラマンの菅原康太さんが左近山団地に居住する人に呼びかけ、ポートレイト写真を撮影するプロジェクトである。撮影された70組のポートレイトは、2022年4月29日~5月29日まで左近山アトリエ131110にて開催された同名の写真展にて披露された。

展覧会では写真が壁に収まりきらずに、天井から吊り下げられて規則正しく並んでいた。その様子は、団地の建物の窓の明かりが規則正しく並んでいる様を思わせる。闇夜に暖かく灯る窓明りのように、誰もが温かな笑顔だった。

さて、「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」をご存知だろうか。絵画や彫刻など伝統的なアート表現手法とは異なり、社会と関与して制作されるのが特徴である。米国では1960年代、日本では1980年代末にその端緒が切られ、現在まで系譜が続く美術史的には比較的新しいスタイルのアートだ。

なぜ突然こんなカタカナ専門用語を持ち出すのかというと、「左近山とわたし」が、このソーシャリー・エンゲイジド・アート(以下SEA)のお手本のようなプロジェクトだからだ。SEAにおいて重要視される点を共有することは、そのまま「左近山とわたし」の魅力の理解につながる。

SEA文脈では、アート作品の美的・質的な評価よりもむしろ、プロジェクトのプロセスが重要視されている。なぜならば、SEA文脈ではアート表現の手法をコミュニティに持ち込んで、既存の状況に新しい視点を付与することでコミュニティの変容を促すことができると考えられているからだ。

「左近山とわたし」の場合には、アート表現手法として写真撮影技術と表現技術が、菅原氏により左近山団地コミュニティに持ち込まれた。もともとポートレイト撮影に優れた手腕を持つ菅原氏である。参加者と「左近山とわたし」をテーマに会話をしながら、撮影場所を一緒に考え、時には話の流れでゲスト参加者も招くなどして、丁寧にそれぞれの撮影を行ったそうである。「対話」もまた、SEAの特色なのである。

ポートレイトを撮る/撮られる協働制作の一時的な成果は、70組の左近山居住者と左近山団地とが美しくエンゲージメントしたポートレイト写真と撮影前後に語られた言葉であり、これらは展覧会の展示物となった。そして、2次的な成果は、参加者と展覧会鑑賞者にもたらされたポジティブなインパクトである。居住者と左近山団地との「よい関わり」は、「左近山とわたし」を通じ、ある程度のまとまった質・量が可視化された。これを知ってしまえば、左近山団地コミュニティに対する印象が一段階ポジティブなものに変化するだろう。このインパクトが派生していくプロセスこそが、SEAが重要視するプロセスといえる。

少し余談ではあるが、コミュニティに対するポジティブインパクトを、まちづくり文脈では「インナーブランディング」や「シティ・プライド」なんて言葉で表すものだ。SEAによるポジティブインパクトが他分野と少し趣が異なるとすれば、表現する喜びが全力で肯定されることだと思う。それにより、個々人から「生えてくる」表現の芽を祝福できるコミュニティのあり方が担保される。

多くのSEAの現場をリサーチしてきた私は、表現が肯定された先で起こる、創造性の連鎖を目撃してきたものだ。左近山団地でもやはり、創造性のタネがどんどんと発芽していた。展覧会場の左近山アトリエ131110でのんびりと過ごしていると、「左近山とわたし」の参加者でもある女性が浪曲を詠ってくれたり、入り浸っている子供らがカメラを構えて勝手に撮影会をはじめたり、ビールを飲みながらちょっとだけクリエイティブな会話を楽しむ大人がいたりといった風景を、たった数時間の滞在中に目撃した。全てのことが「左近山とわたし」が原因な訳ではもちろんない。けれども、触発していることは事実だ。創造性が発芽する街角は楽しい。

SEAはこれまで自明にみえていた状況に新しいものの見方を提供できる。「左近山とわたし」は、ポートレイト撮影を通じて左近山団地に新しい視点を与えてくれた。新しいものの見方は人の心を変えてくれる。

心理学者ウイリアム・ジェイムズは言った。「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」

つまり、起点は心の変化なのであり、創造性のタネの発芽はその先に起こったこと。SEAはその全てのプロセスが重要であるのだと指摘するのだ。コミュニティにクリエイティブで健やかな変容を起こしたいと思ったとき、「左近山とわたし」のようなプロジェクトのあり方はとても良い。このようなプロジェクトがコミュニティのインフラとして当たり前に存在する社会になれば、多くの人がWell-beingでいられるのにと本気で思う。

「左近山とわたし」、今回はコミュニティの拠点内での展示だったが、将来は違う場所で、違う街で展示をするかもしれない。プロジェクトが生まれた左近山団地を離れた時、プロジェクトや一枚いちまいのポートレイトの見え方/見られ方がどう変化するかにも興味がわく。そういう意味では、プロジェクトのプロセスはまだ続いている。To be continuedなのである。
Photograper:菅原 康太
Assistant Photograper:伊藤 一道
Writer:友川 綾子(gallery ayatsumugi)
Designer:熊谷 玄・伊藤 祐基・森 智佳子(stgk)

2022